第二十八回〜三十一回<バックナンバー.8>
はるみの徒然草紙




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第二十八回





2004年 8月11日(水)


前々日久しぶりに日本に帰ってきました。東京は観測史上最高の連日真夏日!
暑い、というよりも熱い。

ズーッと母の看病・介護をしていた妹たちが、交代で夏休みをとることになり、
なんの手助けにもならないわたしですが、見舞いかたがた病院へ。
この日はいつになく意識もしっかりしていて、どうしても横になりたがらず、喋り続ける。
そして「自分の家に帰りたい」と何度も何度も訴えわたしを困らせる。
自分の病状認識のできない患者の話というのは、わたしもよく耳にしてはいますが、
実際わたしの身の回りの家族、しかも母にそういう事態がおころうとは想像も
予測もしていませんでした。
この熱い夏が終わると、また妹たちの介護につぐ介護の日常生活も5年目を迎えることになります。




 8月12日(木)


11時13分発の「のぞみ121号」で東京駅を出発し、名古屋駅で「南紀5号」に乗り換えて、新宮へ。
中上健次さんの十三回忌祥月命日に中村とふたり、お墓参りの旅。
また今回も案内の労をとってくださった「熊野大学」の森本祐司さんのおはなしで、
平成11年に亡くなられたお母様のちさとさん、そのまたあとを追われた義父の七郎さん
おふたりのお墓が、中上さんの眠るすぐ隣りにつくられていて、
「これだったら中上さんも淋しくないね」とちょっぴり安堵する。






 8月14日(土)


これまた入院闘病中のお母さんのお見舞いと、この冬のお父さんの十三回忌の
法要の打ち合わせのため前日から田舎へ帰っていた中村が夕方帰京。
夜、「東京湾大華火大会」を愉しむ。
外国人居住者の多いこの建物のあちらこちらから歓声があがりっぱなしの
一時間二十分。
それにしても夏の、ことにお盆の時期の花火というのは、華やかさもさることながら
はかなさのほうが身に沁みます。

花火大会が終わってどのいくらいたっていただろうか、
中村に呼ばれパソコンの前に立つとそこには、
『田原総一朗さんの妻節子さん逝く』のネットニュースの文字。

「あれ?田原さんいま北朝鮮にいってらっしゃるんじゃなかったっけ?」
「覚悟の決断だったようだな。田原さんらしいし奥さんらしい」と中村。

奥様には何度かご自宅にお招きいただきごちそうになりました。
わたしの「武道館」や「日生劇場」のコンサートにもたびたび足をお運びいただきました。
去年の12月、東京の全日空ホテルで開かれた「サンデー・プロジェクト」十五周年のパーティーで
お目にかかりご挨拶したのが最期となりましたが、
田原さんが手押す車椅子の上の奥様の表情が実におだやかだったのが印象的でした。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。

16日(月)には故郷・京都に「五山の送り火」を見にかえります。
10年前の「上賀茂神社」でのコンサートの時は、舞台上のわたしは見ることができなかったので、
子供の頃以来四十数年ぶりのことです。
しっかりと見届けることで、「ことしの夏」を送ってきたいと思います。




 8月16日(月)


京都の実家から見た「右大文字」と「左大文字」です。








   (はるみ 第二十八回・了)




第二十九回





2004年 9月 7日(火)


これでもかこれでもかとひっきりなしに日本列島縦断を繰り返す今年の台風。
それだけではまだ足りないとでもいうのか、ダブルパンチ・トリプルパンチをを浴びせるように、
嵩にかかって不意を襲う不気味な地震。
不運にも被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

そんな方たちが、いつ果てるともまたいつ再襲されるとも知れぬ恐怖のなかで、
すごされていたこの週末・週初を、
わたしはわたしで突然襲い来た<宿阿>の歯痛とともにすごしました。
週休みが終わるのもまどろっこしく、主治医の先生のもとへ走りました。
幸い処置が早かったおかげで大事にはいたらず、今日午後の再治療を受けて、
なんとか大阪へ入ることがかないそうです。
もっとも台風のご機嫌次第というもうひとつの厄介な条件はつきますが。

そのまえに、人形町の「ジュサブロー館」に寄って辻村寿三郎先生と、
暮れの「新宿コマ劇場」の衣裳の打ち合わせもこなさなければなりません。
先週末には、一足お先にMAYA MAXXさんに初めて衣裳デザインの依頼も済ませました。
はてさてどんな斬新な舞台衣装ができあがるか、
今からほんとうにワクワクする気持ちを抑えることができません。
みなさんも二人のアーティストの作品をどうかご期待ください!

8日(水)枚方、9日(木)岸和田と久しぶりの関西コンサート。
10日(金)はラジオの生と夕方NHK大阪の看板情報番組『上方倶楽部』でミニコンサート。
そしていよいよ11日(土)は、<『抱きしめて』カラオケ西日本決戦大会>当日です。
とにかく楽しく明るく面白いイベントになるようスタッフ一同いろいろと趣向を凝らしているようなので、
出演されるかたはもちろん、応援にまわられるかたも、観覧だけのかたも
ご協力のほどなにとぞよろしくお願いします。

そしてもちろん翌12日(日)は、銀座三越で有終の大盛り上がり大会にしたいと思っています。






   (はるみ 第二十九回・了)




第三十回





2004年12月 5日(日)


また今年もとうとう師走を迎えてしまいました。
新潟中越地震をはじめ数々の天変地異に見舞われたかたがたにとって、
ますます厳しい季節の到来ということで、衷心よりお見舞い申しあげます。

とうとう「新宿コマ」のリハーサルが始まりました。20年ぶりの新宿への帰還です。
一曲一曲を、その曲が生まれた当時の記憶とダブらせながら反芻していると、
つくづくと「わたしは孫悟空なんだ」と感じさせられます。
如意棒を片手にキント雲に乗って10万8000里を瞬時に翔け、
戻ってきては、得意気になってそのことをお釈迦様に報告すると、
10万8000里の果てに徴してきたはずの「唯我独尊」の四文字が、
お釈迦様の中指に記されていて、自分の思い上がりを戒められる・・・。
ここでいうお釈迦様は、いうまでもなくわたしにとっての
市川昭介先生という存在に他なりません。
いざという時、困った時、どうしたらいいかの悩みでいっぱいになった時、
いつもニコニコ変わらない笑顔で迎え入れてくださる導師です。
この秋、先生はめでく秋の叙勲をお受けになりました。

突然ですが話し替わって・・・。
自宅のケーブルテレビで『寅さん』を見ていて、
見終わっていつも以上に、フワーッとした暖かな気持ちに包まれていました。
その時でした。わたしの体からメロディーが口を突いて湧いてきたのです。
初めての体験でしたので、急いで傍らのカセットテープにアカペラで吹き込みました。
それを櫻庭伸幸さんが採譜してくださり、
坂口照幸さんがわたしの意を汲んだかたちで詩をまとめてくださり、
「いつまでも」という歌ができあがりました。
ファイア・ストームのラストシーンのように、「コマ」の空間でこの歌を
みなさんと一緒に歌えるシーンが実現できたら素敵だなと願っています。
もちろんそのあとのシーンはすぐに、いつものように「お釈迦様」の許にもどりますので、
どうぞご安心ください。

今日はこれから市川先生のお宅におじゃまして、
《叙勲》のお祝い会の打ち合わせをしてきます。






   (はるみ 第三十回・了)




第三十一回





2004年12月28日(火)


今年も一年大変お世話になりました。 ありがとうございました。 来たる2005年(平成17年)が、なにとぞ恙無い年でありますよう!









   (はるみ 第三十一回・了)