≪「市川昭介先生の思い出」 エッセイ≫代表作品
多数応募頂いた中から、代表的作品三篇をUPさせていただきました。
甘い言葉と 知りながら うれし涙が ポーロポロ 〜〜〜〜〜
元来、女性の裏声的歌唱を好みとしない私にしては
「困るのことョ」のこのフレーズで、若い娘とは思えない低音歌唱。
興味ある〜〜〜とラジオからの歌で立ち止まり聴いたのが離れられない始まりでした。
程なく、「アンコ椿は恋の花」の詩が 三日おくれの 便りをのせて
秋田ではつい最近までレコード・雑誌等発売日より2〜3日遅れでないと手に入りませんでした。
唸りを交えた軽快なメロディーにとりこに成り、聞くだけで無く楽器でマスターしたいと思い曲の譜面付雑誌を買い、
家からギターを買ってもらい初歩から友達に聞きながら夢中で練習した思い出があります。
就職し都内及びその近郊を転勤・転勤の連続でラジオ・テレビ聞く・見るだけの当時でしたが、
昭和49年でしたかね!同じはるみさんファンの友達と日劇でのコンサートで好きな「涙の連絡船」を
前から5列目くらいで初めて生を聞きました。
回りは 都!! 都!! はるみちゃん!! はるみちゃん!! の連呼で
コンサートは凄いな〜〜「涙の連絡船」凄いな〜〜 強烈だったことが忘れられません。
いつ何処で聞いたか記憶にないのですが、ちょっと大げさに感じられるでしょうが、
私の魂に触れるそんな気がした イントロ それが「夫婦坂」です。
この曲の イントロ が流れると一呼吸二呼吸止めて聞くという気にどうしても成ってしまいます。
「夫婦坂」といえば、昭和59年紅白、はるみさん長期休憩(あえて!)宣言最後の日
この曲を聴きながらしばらくテレビ画面では見られないな〜と思っていました。
私の中でその時のはるみさんには復活しないオーラ。何もありませんでした。
とりあえず今までの20年間ありがとう!休憩したほうがいいよはるみさん!
そして鈴木アナのアンコールにはほとんど答えようとしなかった。好かったです。
平成2年は、はるみさんご自身も大変だったお年と認識しておりますが、
私自身も脳天をハンマーで殴られるような衝撃的なことが有りました。
はるみさん+市川メロディーを聴くことで辛いこと・嫌なこと・立ち止まった時、全てを乗り越えることが出来ます。
その生をこれからはコンサートで聴ける喜びがございました。
生の市川先生をコンサートで見るチャンスは私の中で残念ながら有りませんでした。
何本かのDVDを見て40周年記念の武道館。
親孝行したいと今まで頑張ってきたね!とはるみさんと舞台で演奏の方等にお客様から拍手をお願いして
そして拍手を僕にもと!他のコンサートでは市川昭介にもと!そんな人間味あふれる市川先生大好きでした。
コンサートでのはるみさんと先生、一緒が見られないのもまた残念です。
夫婦坂生イントロそれが聴きたいだけというところが少々ある私。
コンサート行きはこれからも続きます。
市川先生は、東北の方、私の昔の昔の遠い先祖の方滋賀県大津。
お隣は京都。古代ロマンではありませんが何かの繋がりがあるのかな?
先祖の旅思い出し、そんなことを考えるだけでも楽しいですよ! はるみさん。
秋田市
鈴木 充
はるみさんの歌声、市川先生のメロディに助けられ背中を押されて今日迄頑張れた私です。
衝撃的な出会いは、私がまだ小学生、はるみさんは、アンコ椿は恋の花、唸りまくって世の中、明るくして頂きました。
母は一度に大好きに、私も驚きと天性の明るさにしびれました。
仕事一途の母が『曲がええなぁ。心が和む。明るくなる。』
新見市での実演の時、一枚の券で母に抱かれ聞いた、さすらい小鳩、今でも私の応援歌です。
その母も50才で亡くなり34年になります。
市川先生とはるみさんのお陰で今日まで、母との思い出温めています。
感謝!
柳川市
石橋 晴枝
数々の名曲を残され、お亡くなりになられました、
市川昭介先生のファンの一人として、ありがとうと言う気持ちで一杯です。
私は市川先生はテレビや雑誌でしか拝見したことはございませんが、いつも笑顔で、
穏やかな口調でお話になるのが印象にのこっています。
そんなお人柄から作られた市川メロディーが大好きです。
私が初めてレコードを買ったのが「アンコ椿は恋の花」でした。この歌はなんど聞いたでしょうか・・・
40年たった今でもこの曲を聞くと胸に熱いものがこみ上げてきます、
名曲て素晴らしいものだとあらためて感じています。
悲しい曲、明るい曲、それをうまく歌った都はるみさん、
恩師と弟子うまくかみあって出来た曲、素晴らしい曲ばかりでした。
ありがとう・・・先生のご冥福をお祈りいたします。
岡山市
片岡 栄一